公開: 2023年5月8日
更新: 2023年5月8日
1960年に、日本政府は、アイゼンハワー大統領の米国政府との間に、日米安全保障条約を締結しました。この時、日本政府を率いていたのが、岸信介総理大臣でした。日本国民の中には、この安全保障条約が、戦争放棄を謳った日本国憲法の精神に反するとして、締結に反対する人々が数多くいました。特に、大学生たちは、この条約に反対して、毎日、国会周辺で、反対デモを行い、しばしば警官隊と衝突をしていました。
当時の世論の中には、資本主義国である米国と、共産主義国であったソビエト連邦や中華人民共和国と、等距離にある中立的な立場を守るべきであると考える知識人も多く、安全保障条約を締結すると、日本が米国側の勢力に偏ると懸念していました。米国政府は、共産主義諸国の台頭に悩んでおり、東アジア地域では、日本を資本主義諸国の一員として維持することを戦略にしていました。岸元首相は、この米国政府の戦略に同調していたわけです。